若き日の冒険

1968年に免許を取得と車の購入、翌年の夏九州一周ドライブを計画、実行したが!!
コースと期間は決めたものの、宿泊と一日の走行は何とか成るさの
危険な青春ドライブ。



 車両はサニー1000cc4ドアー私の愛車、現在では
若葉マーク を装着の初心者、助手その年免許取得の
超初心の悪友。
なのにグリーン色に左右のフェンダーは黄色!!
目立ちたがりやで、今では恥ずかしい!当然ですね。
これは片側をぶつけ修理した時に依頼実施したもの
当時は命の次に大切にしていたのが車だった。


両者で確認した事は、走れるだけ走って夕方宿を探す!!
夜明け前に横浜ICから東名高速に入り一路西へ
高速、長距離はもちろん初体験ながら、平均120Km以上
時には150Kmで、この車壊れるのではと不安を抱いた。
エヤコンなど取り付けていない為窓を開けるとものすごい風きり音が、閉めれば暑さで我慢出来ず、三角窓を開けて走行。
最近の車にはこの三角窓が廃止されている、エアコン装着率が上がっているからだと思う。
又、当時はフェンダーミラーだったんだよね!!今から約15年前からドアミラーに変わってますね
外国からの圧力で、輸入車が売れない理由にフェンダーミラーと指摘され以降認可され
今では、タクシー等が前のままですね!!何故って?(*1)今度調べておきます。

休憩はガソリン補給時のみの強行高速走行で、緊張の連続だった。相棒が初心だったので
高速は私が担当し名神の終点から高速は終わり国道2号線を西へ、
この時点で相棒と運転を交代、広島手前で日が沈み前車はトラック速度が落ちてきた、
相棒はトラックがの前が空いていると判断し追い越しをかけた、追い越しをかけて気が付いた
低速渋滞の状態であった。戻ればよかったのを強引にトラックを追い越したが、対向車も
100m先に来てるので、やむなくトラックの前に強引に割り込んでしまった。
トラックはホーンを高らかに鳴らし怒っている様子は感じ取ったが、まさかの事が!!
最近はハザードで挨拶する人もいるようですが、そんなのはまだ流行してなかった。
怒ったのはトラックの運転手、我々を逆に追い越して幅寄せをしてきたのです。
あわててブレーキ、あわや田んぼに落ちる寸前で生きた心地はせず、
二人で顔を見合わせ、頭の血がスート下がるのを感じた。
あの時は、私があせらせた言葉を発していたのかも知れない!!
しばらく路肩で頭を冷やしてから再スタートした。
夜九時ごろになって、広島市内手前で国道から脇に入り車中にて睡眠、夏場暑くて窓を開けて
疲れていたのか熟睡。

翌日広島原爆平和記念碑に立ち寄って、再度2号線を西に!!その日の昼若戸大橋をわたる
この橋が九州上陸と思っていた、その前に関門トンネルで九州に上陸していた事が後で判る。
今度は3号線を南に、九州の印象は道が広く標識が判りやすく信号が少ない事、反時計廻り
 
で長崎ー熊本ー鹿児島ー宮崎ー大分ー北九州コースで
 ドライブ、写真の無い所は忘れている。

 ある民宿に泊まった時の事我々の部屋に女将さんが、
 今日は込んでいて相部屋でと!!
 男性二人が入ってきた、我々より年上に見えた。
 私が直感したのは、ズボンの中に入れてある現金を寝て
 いる間、(まさか!!)と思いつつ何とかしないと!
 思いついたのがおなかの腹巻、宿泊代は早朝早いので
 朝食無しで前払済み。

 翌日の早朝宿を出て、1回目の給油で私のズボン財布の中
 に現金が無くなっている!!とっさにあの宿だ!
 しかし、宿泊からすでに3時間走行していて戻る気力も
 なくしていた。
 電話も判らず、相棒に
 「お前あといくら持っている」?俺お金無くした!!
 彼の金でこれから行くにも、帰るにも足りない額だ。二人で 
 途方にくれ試案!!

 相棒「よ〜くさがせよな」 良く探したってズボンの他には
入れてない! しばらく探して「御免!!」 俺「昨夜腹巻に
いれたっけ」今では話せるが、まだ覚えているあの驚き!!
バイトでもして稼ぐか?とまで考えていた。

今九州で暮らしてますが当時の昼時に食事をする所がタイミング良くしかも安い物がなく
食いっぱぐれの時も有ったような記憶がします、元々その日の計画は行ける限り前進で
食事の苦しみ記憶は覚えていません、なんとかありつけたのですね。
今命が有るのも不思議な冒険をしていた、33年前の事です。
あれからまもなくして交通標語に

 「狭い日本そんなに急いで何処に行く!!」 

私のような若者が多かったのでしょうか?

これにこりづ翌年北海道に挑戦している。

北海道は夕方に出発し翌日の15時のフェリーにやっと乗れましたから
まだ高速道路(北陸自動車道)がまだ無くひたすら4号線を北上!!
20時間強の運転で休憩はガソリン補充ぐらいの記憶です。
九州の時よりもベテランと共に出掛けたので何故か私の運転も快調だった。

当時は、「追い越し禁止」の黄色はほとんど無いといっても過言でなかった。
見通しの悪いカーブ位でそれが終わると飛ばし屋は一斉に追い越しをかけるが、
はるか彼方に対向車のライトを確認するとほとんどが走行車線に戻るが、我々は
せっぱ詰まるまで追い越し車線を突っ走り、限界100m位で元に戻る、割り込む時
は強引に、他の車はあんな馬鹿は相手にするなと冷静だったのかも。

一度この様な事をするとオトナシク走れなくなるから不思議!!
この頃は何だったのか?
運転のテクニックに満足感があった?
スリルが味わいたくて?
自分は他より度胸が有ると見せたかった?

母からおにぎりの差し入れを作ってもらい夜食べ、残りを翌日の昼食べたのが
青森についてからやられてしまい函館まで何とか行き下船して近くの同じ旅館に2泊
するアクシデントが発生してしまいました。
函館で急性胃腸カタルと診断を受け先輩からまた出直そう!!
飛行機で帰れ!車は俺が届けるから体の方が大切だだぞ。

私はその言葉の嬉しさと優しさで、でも意地でも帰るものか、せっかくここまで来て
グブアップはないだろと、自分に言い聞かせていた。


2日間の通院を旅館での静養、二日間先輩は私のそばに
ず〜といてくれた、函館を一人で遊んでいれば良かったのに
その時は気が付かなかった。あの時は御免!!


函館ー札幌ー旭川迄先輩が運転、私は助手席でナビ担当
旭川の30Kmに及ぶ直線コース楽しみにしてたのに!!
地元の人は、ものすご〜い安全運転で思ったほど飛ばせなかった。 
網走ー知床ー摩周湖この当たりから体調回復ー阿寒湖ー襟裳岬ー苫小牧
支笏湖ー洞爺湖ー函館に戻り
青森から奥入瀬渓谷ー十和田湖ー田代湖ー4号線に入り帰宅
寄り道をしながら無事帰宅。
北海道は九州以上に目的地間の距離があり強行スケジュールでした。

               この4枚はスキャナーで作成しましたが画質悪し!。

知床迄の手前で道路一直線            日高だったと思いますが峠を下りてきたら
道の水平線?                      今度は地平線が!! 
ここで何したか判りますか?
対向車も後続車も無し左右は原生花園

D-51と出会う、どこかっらか汽笛の音が!      復路青森奥入瀬渓谷にて、病のあとか?
夢中で脇道を入っり遠方に確認!!           ややスマートに!!
近くに来るまで待ち受け。ドキドキ!

その後、信州、能登、方面へ、その他に
会社の出社時正門で先輩を待ち構え、
今日、どこかへ行こう!!とさそってUタウン。
日帰りコースへ、
会社から自宅へ連絡が入ったらしく、母からお疲れ!!
今日会社から連絡が、怒られた!!
会社に行っても同様、でも反省なし、どうしようもない青年でした。

乗鞍岳を車で頂上へ


今までで、記憶に一番残っているのが乗鞍岳のチャレンジです。


 
今では、有料道路が出来ていますが
 当時は無かったと記憶しています。
 河原のような大きな石を避けながらの
 3時間のノロノロ運転で涙が出そうな
 退くに退かれず、車の床に石を当てながら
 の奮闘でした。
 今では一般車両通行止めとか?


昔の旅と、これから家内と青春の振り返りが出来たら
最高と考えています。
丁度我が子供がこの年頃(娘ですが)、同じ行動を計画したら私は反対しいるかも
我が両親は見守っててくれました。いや、あきらめていたのかも?

お詫び:張付け画像は当時の写真をデジカメで接写した為画質が落ちてます。

(*1)タクシー等で使用されているフェンダーミラーは、見やすいからで運転時間が長い時は疲れにくい!!
  又、プロ・ドライバーとしては安全に繋がる。
  今でも頼めばメカーオプションとしてフェンダーミラー仕様で届けてくれる。

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